学生に薦めたい名著



1,はじめに

ワシは1ヶ月に10冊程度の本は読むことにしている。出版天国と言われる最近の我が国では、一見面白そうな新書などが、毎月大量に出版されるが、「タイトル」と「はじめに」につられて購入した本の多くは、金銭に見合わないことが多い。その一方で、世知辛い世の中を渡っていく上で、大きな指針を与えてくれるような良書と巡り会ったときの喜びは大きい。人間は、遺伝子・DNAによって生物として生存していくための先天的情報を取得しているが、世の中を幸福に生き抜くための情報(intelligence)の多くは、言語・文字などを通じて後天的に取得されるモノが多く、社会的遺伝情報(=ミーム)と呼ばれる。良書は、ミームの宝の山であり、沢山良書を読んでミームを蓄積した人とそうでない人では、おじさん・おばさんになった時に、大きな差が出ているだろう。




2,名著とは

ワシの選別眼(フィルター)は、それが文芸本であったとしても常に工学者として分析・解体を行い、その書にどの程度有益な情報・オリジナリティーが含まれているか、ということだ。感動、文体、読後感、などのエモーショナルで計量不可能な曖昧さを廃している。つまり目を向けているのは、「科学」としての面白さであり、「芸術」としての面白さ、ではない。ワシの考える名著の条件とは、(1)「時代・場所を超越した普遍的情報・価値を提供している」こと、(2) 「人生を生きていく上での重要な示唆を含んでいること」、(3)「主題・主張が明快かつ論理的であり、ゆらぎがない」。よく、1つの名著から似たような数多くの便乗本が出るが、名著とは、オリジナルの提案である。便乗本がオリジナルを精緻化してより面白くなったということは極めて希であり、やはりオリジナルが最も面白いことが多い(研究についても言えるかも知れない)。以下の書は、ワシが個人的にすごく影響を受けて、ためになった、という基準で選んでいるから当然バイアスがかかっている。各人、鵜呑みにせず取捨選択すること。結局、10選から文学作品はほとんど漏れてしまった。

 

(1) 風姿花伝(花伝書)世阿弥著 岩波文庫

「秘すれば花、秘せずば花なるべからず」。言わずと知れた、父、観阿弥の能楽に関する口伝を、子である世阿弥が記したもの。人間の、日本人の、美意識のあり方を考えさせる偉大な書。華の時代を如何に過ごし、華を過ぎた後、如何に美しく枯れていくか?



(2)   養生訓 貝原益軒著 現代語訳多数

文字通り長生きのための健康の書であるが、昨今のノウハウ本でなく、我々の生命を如何に慈しむべきか、という哲学の書である。中国の文献をかなり参考にしているので、これがオリジナルといえるのか、という反論もあろうが、やはり一つの哲学として完成されていると思う。



(3)   利己的な遺伝子 リチャード・ドーキンス 紀伊国屋書店

大学の理系の先生の多くが薦める名著。従来の生物観・人間観を揺るがす理論で、現代の進化生物学モノの大ブームのきっかけを作ったと言えよう。



(4)   人間の本性を考える「中」 スティーブ・ピンカー著 NHKブックス

進化生物学者が論じる道徳論ゆえにかなり説得力がある。「人間を平等とする」共産主義体制からは階級闘争や文化大革命などの殺戮が、逆に「民族主義」を謳ったナチスからはユダヤ人虐殺が、いずれにしろ極端な平等・不平等思想から悲惨な流血が導かれた事実を指摘し、そのような極端な見方を排除している。進化生物学的な知見に基づいて、男女差・個人差などの人間の先天的能力の違いを認めた上で、如何にして、社会道徳を考え確立していくか、論じられている。



(5)   内臓が生み出す心 西原克成著 NHKブックス

かなり癖のある文章で、賛否がはっきり分かれるだろうが、何度か繰り返し読むうちに、とてつもない書であることがわかる。「内臓移植をすると心(嗜好)まで変わってしまう」という事実から、脳ではなく、我々の細胞レベル(特に消化器官)に嗜好が存在している、と言うことなのだが、それはこの書の主張のほんの導入部に過ぎなかった。実は、免疫と進化という大テーマに、さらに人間とは何者かという問いに、一つの答えを与えようとしていることがわかる。「人間(=生物)の生存目的は、リモデリングである」。



(6)   侏儒の言葉 芥川龍之介著 岩波全集より

芥川は、古典モノに題材を取った比較的初期の小説で有名だが、実は、現代風小説を数多く創作しており、テーマも形式も極めてオリジナリティーが高い。最晩年に書かれた「侏儒の言葉」は、自身の苦悩が告白され、読んでいて息苦しくなるほどであるが、その人間観察と分析は、真に鋭く論理的で、工学者の論文を読んでいるかのようである。ここまで、自身を解剖できるというのはすごい。アンブローズ・ビアスの「悪魔の辞典」などより圧倒的に深い。



(7) 文明崩壊 ジャレド・ダイアモンド著 草思社

文理融合の視点から進化生物学者が書き下ろしたスケールの大きな環境文明論。工学部、とくに6類のような建設系の学生にとっては必読の書と言えよう。



(8)イキの構造 九鬼周造著 岩波文庫

「粋(イキ)」の概念には、現在、失われつつある日本の美意識の特徴が見事に織り込まれており、その骨格が鋭く分析されている。あからさまな自然美に対して、混沌とした人間模様の中で洗練され仄めかされる都会的な美であると言えるであろう。


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